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創業者たちのその後

1949年、ニューヨークのレストランでの会話から始まったダイナースクラブだが、創業者であったブルーミングデール、マクナマラ、スナイダーの三人が揃っていた時期はそう長くはない。

まずマクナマラが、創業早々にこの新しいビジネスの舞台から撤退する。1950年に30万ドルという大きな損失を出した段階で、彼はこの事業に見切りをつけ、ブルーミングデールとスナイダーに自身の所有する株式を売却した。これによって残った二人は、50%ずつ株式を保有する共同経営者となった。

その後、スナイダーが1950年代後半に亡くなる。その結果唯一の創業者となったブルーミングデールだったが、スナイダーの死の直後、遺族に譲渡された株式を購入する資金を十分には調達できなかった。そこで、友人のつてを使ってコンチネンタル保険への買収を試みたものの、この判断によってダイナースクラブは、クレジットカード業界での覇者としての地位からジリジリと後退することになる。

コンチネンタル保険経営陣は、創業者・ブルーミングデールと主導権争いを繰り広げ、その内部紛争は1968年頃まで続いた。この内紛劇にダイナースクラブがその勢力をそがれている間に、バンカメリカードやマスターチャージといった新興銀行系カード会社や、同じクレジットカード業界内のライバル社であるアメリカン・エクスプレス、カルテ・ブランシュ等は激しい追い上げをみせた。

1969年にはダイナースクラブの利益は前年度比で1/3強に落ち込み、ついにブルーミングデールは経営トップの座を降りることになる。1949年のレストランでの会食から始まった創業者たちの時代は、ここに幕を下ろす。

ブルーミングデールがライバル社に移籍することを恐れたコンチネンタル保険経営陣は、結局彼と和解。最終的に残っていた株式をすべて入手する。

ブルーミングデールは多少の株を所有しつつ、1981年に亡くなるまで名義上会社に残った。しかしその死の前年、ダイナースクラブはシティバンクに買収され、激しく覇権争いを繰り広げたカルテ・ブランシュもまた、数年後には同じくシティバンクに買収されることになる。

クレジットカード業界内の栄枯盛衰はめまぐるしく、すでに創業者たちの栄光は忘れ去られたに等しい。しかし、彼らの貢献により現代社会を支える巨大産業の一つが創造されたことは紛れも無い事実といえよう。