クレジットカード・ビジネスの萌芽 |

クレジットカード・ビジネスの萌芽
ダイナースクラブの誕生については、1949年のニューヨークに遡る。
創業者の一人であるアルフレッド・ブルーミングデールは、友人のフランク・マクナマラと会食中だった。マクナマラは35000ドルもの未収金を抱え、経営困難に陥った金融会社・ハミルトン・クレジット社の経営者だった。同席者はラルフ・スナイダー。マクナマラの担当弁護士である。
このハミルトン・クレジット社は、ある貸金業者Aに資金融資をしていた。Aは顧客であるBが貧しくて薬を買えない、という部分に着目し、A自身の信用を利用してBが掛け買い=ツケで薬を買えるようにしてやった。Bは後日、Aに利息を上乗せした金額を分割で返済すればよい。貧しいBにはありがたい仕組みであった。
その一方、薬局を始めとする当時の小売業全般は利息を取らない分、顧客(この場合はA)に一定期間内に未払い金を支払うよう求めていた。そもそも貧しさ故にAを頼るBのような顧客に、短期間で支払いを済ませることなど出来るはずがない。Bから融資した金額を回収しきれないうちに薬局に返済を迫られるAは、当然の結果としてハミルトン・クレジット社への返済も滞りがちになるのである。
これまで一般的だった「掛け売り」と「分割払い」に加えて、マクナマラが付与した「信用力のない者が他者のクレジット(信用)を利用して品物を購入できる」、というアイデアは斬新ではあった。しかし、残念ながら小規模にしか展開出来ない現状では大きな利益を生むことは出来ない。
慈善事業として金融会社を経営しているわけではないマクナマラのジレンマは、老舗百貨店創業者の孫であり、庶民が利用するスーパーでの勤務経験もあるブルーミングデールにはよくわかった。
なんとか出来ないものかと三人で頭をひねった末、「チャージプレート(掛け買い許可証)」を他人に貸し出すアイデアが浮かび上がってきた。これは当時の大手小売店が顧客に提供していたもので、クレジット(信用)を与えるものであると同時に、店員が顧客の身元を確認出来るものでもあった。
三人が会食していたようなレストランでは、常連客はツケで飲食出来る。薬局に支払う金すらない人々に対し、彼らは裕福で、きちんと買い掛け金を支払うことが出来る。
ここまで議論してきた三人は、これまでの事業のやり方に間違いがあったことに思い至った。一つ・返済能力のない相手に金を貸していたこと。二つ・必要に迫られてランダムに借りていく顧客が相手の場合、事業規模がが大きくないと利益は上がらないこと。
自分たちが食事をとっているレストランを眺めてみたとき、ブルーミングデールは自分たちのような常連客がツケで飲食している事実に気付いた。常連でない客の中にも、裕福で付け買いが可能な潜在顧客はいるはずである。顧客にとってツケで飲食できる店が増えれば一層便利になるし、レストラン側にとっても新規顧客の拡大は望ましいことだろう。新たに掛け売りサービスにするリスクは、事前に手数料として上乗せしておけばいい。
早速レストランの経営者に尋ねたところ、答えは「7%」であった。旅行代理店の手数料(10%)を基準にして考え出されたというこの数値は、その後クレジットカード業界のスタンダードとなった。
かくしてここに、クレジットカード及びクレジットカードビジネスの原型となるアイデアが誕生したのだ。
クレジットカードの起源については、「レストランで食事中に現金の持ち合わせがなかったため、現金の代わりになるものを作った」という俗説がある。創業者たち自身の必要に迫られたアイデアから新しいビジネスが始まった、という夢のある話だ。
しかし、当時彼らが目指したものは、あくまで「儲かるビジネス」だった。現在のソーシャルビジネスのように「社会にある問題の解決」を目指して始めたものではない。
皮肉なことにその指向性こそが、第二次世界大戦後の貪欲なまでに豊かさを求めたアメリカという国に、熱烈に受け入れられた理由の一つなのかもしれない。